「恋する気持ちは純白で」

(3)


 最近、ナルトは少し不安だった。
 この前のペンダント探しの任務以来、何故だかカカシが優しくなったからだ。
 それまでは冷たかった、という訳ではない。
 ただ、これまで以上に気遣いを見せてくれるようになったのだ。
 特に任務地が街の中だったり、街に近かったりする時。
 里の人たちと出会う可能性が高い時。
 カカシは、里の人間から守るようにナルトの傍にいる。
 ナルトに向けられる不躾で冷たい憎悪の視線を、己の存在で撥ね退けてくれる。
 それは嬉しい。
 すごく嬉しい。
 だけど。
 その分不安も高まる。
 これまでも7班の3人に対し、分け隔てなく穏やかな眼差しを向けてくれていた。
 それだけでも十分なのだから、これ以上を望んではいけないと思っている。
 だから不安。
 自分に優しくしたせいでカカシが不快な目に遭うかも知れない。
 こんな自分に優しくしたら、カカシまで里の人間に疎まれてしまうのではないか。
 それが不安だった。
 優しくされればされる程、不安を感じてしまう。
 自分に優しくする事で、カカシまでもが里の人間に疎まれるような事になったら。
 自分が辛い目に遭うのはいくらでも我慢できる。
 いくらでも我慢する。
 でも。
 自分のせいで自分の周りの人間までそんな目に遭うのは我慢できない。
 そっちのほうが辛い。
 それだけは絶対に避けたい。
 だからこれ以上優しくしないでほしい。
 自分のせいでカカシに不快な思いをさせたくない。
 でも本当は、ただ怖いだけ。
 臆病になっているだけ。
 こんな臆病な自分に、嫌気がさしてしまった。
 人を好きになるという事が、こんなにも自分を臆病な人間にしている。
 複雑だった。

「やあ、諸君おはよう!今日はちょっと恋の迷路に迷い……」
「「ハイ!嘘!!」」
 カカシが言い訳を言い終える前に、サクラとナルトの突っ込みが入る。
 7班の任務ではいつもの風景だ。
「……ウスラトンカチ」
 頭をかくカカシを見て、サスケがぼそりとつぶやく。
 カカシは聞こえないふりをして今日の任務内容を告げた。
 いつもと変わらないDランク任務。
 今回は山に入って薬草を取って来るというものだ。
 依頼人は高齢の女性。
 山そのものは危険区域ではないのだが、道が険しい為、入るのは無理だという事で依頼してきたらしい。
 山に入ると聞いてげんなりしたのはサクラ。
 サバイバル演習みたいで楽しそうだと喜んだのはナルト。
 サスケはいつもと変わらない仏頂面。
 三者三様の反応に、カカシは苦笑した。
 今日は里の人間と接する任務ではないので、少し安心する。
 例えナルト本人が平気な顔をしていても、冷たい眼差しを向けられているのを見るのは耐えられない。
 カカシは最近ずっとナルトの事を気にかけていた。
 傷ついてたって平気な顔をするから。
 そうして無理をして笑って、自分の傷を隠して。
 四六時中は無理でも、任務の間だけは里の人間の憎悪から守ってやりたいと思う。
 特別扱いは良くないとわかっている。
 それでもナルトは例外だった。
 天涯孤独の身で言えばサスケも同じだ。
 だがサスケはまだ幸せだ。
 同情される事はあっても迫害される事はない。
 気にかけて援助してくれる人間はいても、憎む人間はいない。
 しかし、ナルトはその逆なのだ。
 憎み、迫害する人間は多いが、同情して気にかけてくれる人間はいない。
 そんなナルトを気にかけてしまうのは仕方ない。
 ナルトに対し、部下以上の思いで接しているのも確かだった。
 だからといって任務や修行で贔屓する事は決してない。
 その点においては平等だった。
 裏を返せば、その点以外では贔屓していると取れなくもないのだが。
 任務が終われば元担任の中忍に負けじと一楽に誘ったり、休みの日に野菜を届けたりはいつもの事。
 感情を素直に表現する、はたから見る分には明るくて元気で単純な子供。
 だけど本当はそうじゃないと知っているから。
 元気に振る舞うのも。
 明るく振る舞うのも。
 単純に騒ぐのも。
 全部、心の傷を隠すためのものだから。
 そんな事をさせたくないと思う。
 嘘偽りなく笑っていてほしかった。

 任務の間中、ナルトはずっと考え事に沈んでいた。
 お陰で取った薬草の量は他の2人には到底及ばず、サスケにはいつものようにドベだウスラトンカチだと笑われたけれど。
 それに言い返す余裕もないほどナルトは考え込んでいた。
 言わなきゃ。
 今日こそカカシ先生に言わなきゃ。
 どう言えばいいのかわからないけど。
 とにかく、優しくしないでほしいって事は伝えないと。
 サスケを無視しながらそんな事ばかり考えている。
「おーいナルト、帰んないの?」
「へ?」
 突然声をかけられ、ナルトは我に返った。
 サスケとサクラの姿は既になく。
 突っ立っているナルトの傍には同じくカカシが立っていた。
「あ……」
「なーに、考え事?任務の間もずっと考え事してたよなあ。悩みがあるんならいくらでも相談に乗ってやるよ?」
 ナルトの前に屈み込み、カカシは優しくそう言う。
 優しい目で見つめられると、決心が揺らいでくる。
 本当はこの優しさを失いたくない。
 自分に優しくしてくれる、数少ない大人の1人だから。
 けれど、自分のせいでこの人まで里人から疎まれるような事になったら。
 それは嫌だ。
「あの、さ……」
「何?」
「先生、何で俺に優しくしてくれんの?」
 とりあえず、訊いてみる。
 いつも飄々としているから、真面目な答えが返ってくるという保障はないけれど。
「ん〜?そりゃあ、ナルトが俺の可愛い部下だからデショ」
 カカシはそう言ってくすくすと笑った。
 その笑いは決して嘲笑などではなく。
 本当に穏やかな眼差しで。
 ナルトは酷く嬉しくなり、酷く安心し、酷く不安になった。
「もしかしてその事で悩んでた?」
「……うん。あのさ、先生」
「ん?」
「俺に……優しくしないでほしいんだってばよ。あ、別に冷たくしてほしい訳じゃないんだけどさ」
「え?何それどういう事?」
 ナルトの言葉にカカシは露出している右目を見開いた。
 どうしてナルトがそんな事を言うのかわからない。
 カカシはじっと黙ってナルトの返事を待った。
「俺ってば、先生に優しくされる価値なんてないし。そんな権利もないから」
 ようやく顔をあげたナルトは、小さな声でぽつりと言う。
「……何それ?」
 カカシはその言葉を聞いて眉を寄せた。
 ナルトの言葉は、いつだかソラが言っていた言葉と重なる。
 ソラと会った事があるのだろうか。
 会って何か酷い事を言われでもしたのだろうか。
 そうでなければ、優しくするななんて言う訳がない。
 ソラに対する怒りが沸々と込み上げてくる。
「俺に、そんなに気ぃ遣わなくていいってばよ。俺ってば強いからヘーキ!」
 カカシの表情に気付かず、ナルトはそう言っていつものように元気に笑った。
 痛々しい、と思った。
 泣きたい時ほど痛々しい笑顔を見せる。
 こんな笑顔が見たかった訳じゃない。
 こんな、泣いているような笑顔のためにした訳じゃない。
 だが、自分がいつもより優しく接した事で結果的にナルトを苦しめた。
 ナルトのためを思ってした事がかえってナルトに気を遣わせてしまった。
 それでも。
「止めないから」
 カカシはきっぱりと言う。
 今度はナルトが驚いて目を見開いた。
「なっ……」
「俺は、俺の気持ちに忠実に動いてるだけだよ。ナルトにとってそれが迷惑でも、悪いけど止めるつもりはないから」
「……」
「不安なんでしょ?何が不安なの?」
「優しくされると不安になるんだってばよ」
 ナルトはまたうつむいて、小さな声で答える。
「どうして不安になるの?」
「俺、臆病者だし。優しくされる価値なんかないから」
「価値があるかどうかは、ナルト自身が決める事じゃないよ?」
 うつむくナルトに、カカシは優しく諭すように言った。
 優しくされる事に慣れていないから不安になるのだろう。
 カカシはそう思っていた。
「俺が決める事じゃないけど、でもわかるんだってばよ。俺は、そーいうの、望んじゃいけない。そんな権利ないんだって」
 ナルトは頑なにカカシを拒否する。
「……誰かに、何か言われた?」
 ソラの顔を思い出しながら、カカシはナルトを見つめた。
「何も言われてないってばよ」
「ま、ナルトが何言っても俺は止めないからね?」
「それは困るってばよ……」
 ナルトは心底困った顔で眉尻を下げる。
「困ったって止めないよ。ナルトが誰かに傷つけられるのを見てるくらいなら、不安にさせてる方がマシだから」
 カカシはきっぱりと言った。
 本当なら四六時中傍に居てあげたいのを我慢しているのだ。
 優しくするななんて言われても無理な話だ。
 それにナルトはきっと、自分自身のためにあんな事を言っている訳ではない筈だから。
 いつだって自分の気持ちより、他人の気持ちを考える子供だから。
 何か訳があるのは明白だ。
 ナルトにとってはおそらく自分自身の為だろうけど、傍から見たら他人を思うが為だとわかるような深い訳が。
 訊いても話してはくれないだろうけど。
 おそらく、腹に抱えた物が臆病にさせている原因なのだと考える。
 腹に抱える物のせいで、里のほとんどの人間から憎まれているから。
 そんな自分に優しくしたらカカシにも里の人間の憎悪が向けられるとでも思っているに違いない。
 自分自身はどんな嫌な目に遭っても平気な顔をするくせに、自分を取り巻く仲間たちが嫌な目に遭うのを極端に嫌う。
 本当はちっとも平気じゃない筈なのに、平気って笑って。
 そんな優しすぎる子供。
 何を思っているのかはわからないけど、結果的にそれは仲間の為の事。
「でもっ、俺なんか……」
「そんな価値ない、なんて言わないでね?」
「だって!」
「価値があるかどうかはナルト自身が決める事じゃないって、言ったでしょ?」
「う……」
「だから不安がらなくていいのよ。俺がしたくてやってる事だから」
「でも俺、ほんとにそんな価値ないんだってばよ。それに俺なんかに優しくしたら、きっと先生に迷惑かかるし」
 ナルトは泣きそうな顔でそう言う。
 自分は、優しくされる価値なんてない。
 本当にそう思っている。
 カカシが自分に優しくしていると知ったら、里の人間はカカシにも悪意を向けるに違いないから。
 それに、カカシは秘密を知らない。
 知らないからあんな事が言えるのだと思う。
 もし秘密を知ってしまったら。
 それでも同じように優しくしてくれるだろうか。
 わからない。
 わからないから怖い。
 知られたくないから臆病になってしまう。
「それは俺の勝手だよ。ナルトが気にする必要はないよ?」
「でも……俺にはそんな権利ないから。俺、人を好きになる権利も好かれる権利もないから。俺なんかに優しくしちゃダメだってばよ」
 そう言うナルトの目には涙が浮かんでいて。
 零さないようにしっかりと開いた目は、それでも真っ直ぐカカシを見つめている。
 普段、絶対に泣かない子が、泣きかけて、泣くのを我慢している。
 本当は優しくされるのが嬉しくて、でもそのせいでカカシには迷惑がかかるかも知れない。
 そう考えて言ったのだろう。
 本心であり、本心ではない。
 どうしてここまで他人の事を考えられるのだろう。
 権利がない訳がない。
 里の人間全員を恨む権利だってあると言うのに。
 どうしてこんなに純粋なんだろう。
 愛しさが込み上げてくる。
 しかし、ナルトの言葉を聞いて、脳裏にソラの顔が浮かんだ。
 あの日ソラが言っていた言葉をそのままナルトが言ったから。
 ソラがナルトに言ったのではないか。
 ナルトはそのせいで不安になり、悩んでいるんじゃないかと思う。
「権利?何それ。そんなのナルトが決める事じゃないでしょ?権利って、誰の上にも平等にあるものだよ?」
 カカシは小さな子供をあやすような口調で言った。
「でも俺……っ」
 しかしナルトは納得せず、まだ言い募ろうとする。
「ナルト。ソラって上忍、知ってる?」
「へ?」
 突然話を変えられて、ナルトはきょとんと目を丸くした。
「ソラ。俺みたいな髪の色の、18くらいの奴」
 カカシは更に、ソラの外見を説明する。
 ナルトはソラを知っているという確信があった。
「……知ってる」
 予想通り、ナルトはうなずく。
「へえ、知ってるんだ?」
 カカシは露出している右目を細めてナルトを見つめた。
 やはり、ソラに言われたに違いない。
「ソラは関係ないってばよ」
 ナルトは必死に言うが。
 カカシは目を細めるだけだ。
 何も言わないが、ナルトの言葉を信じてはいない。
 それに気付いたナルトは、黙って唇を噛んだ。
 誰かに何か言われた訳ではない。
 本当に自分はそんな価値なんてないと思っているから。
 それに。
 優しくされていると、冷たくされた時の事をつい考えてしまう。
 そして怖くなってしまう。
 臆病になってしまう。
 今は優しくしてくれていても、ずっと優しいという保障はどこにもない。
 いつか、冷たくされる時が来るかも知れない。
 優しさが段々なくなっていくのが嫌。
 自分に優しくする事でカカシまでもが里の人間に疎まれるのが嫌。
 怖がって臆病な自分はもっと嫌なのだけど。
「ま、どうでもいいけどね。俺は止める気ないから。ナルトが不安でも、嫌がっても、傍にいるから」
「先生、本気で言ってんのかよ?」
 本当に止める気のなさそうなカカシに、ナルトは突っかかるような口調で訊いた。
「こう見えてもかなり本気だけど?」
 カカシはにこりと笑って見せる。
「それじゃもう何も言わないってばよ。だけど先生」
「ん?」
「いつかきっと、絶対に後悔するってばよ」
「え?」
 うつむいて言ったナルトの言葉に、カカシは目を丸くした。
 後悔なんてする訳がない。
 きっぱりとそう言いたかったのに、何故か言えなかった。
 ナルトの言葉には、何か確信めいた自信が伺えたから。
 そんな自信、持ってほしくはないのだけど。
 何を根拠にそんな事を言うのだろう。
「優しくして損したなんて言って怒っても知らねーもんね。じゃ、もう帰るから!明日の任務、遅刻すんなってばよ!」
 カカシが考え込んでいると、ナルトは元気にそう言って走り出した。
 それを引き止める理由が見付からず、ただ黙って見送るしかなかった。
「後悔なんてしないよ。ナルトの全部、受け止めるくらいの覚悟はあるしね……」
 ナルトの走り去った方向を見つめ、カカシは小さくつぶやく。
 その後、とぼとぼと歩いて任務の報告へ向かったのだった。




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