「足りない」


 下忍になったナルトは最近、ずっと欲求不満に陥っていた。
 と言っても性的な欲求ではない。
 もちろん、そちらもない訳ではないのだが。
 生活が、毎日が思い通りにいかなくてストレスが溜まる。
 足りない。
 時間が足りない。
 逢う時間が、足りない。
 だから満たされない。
 満たされない思いが募って、欲求不満になる。
「絶対に、ワザとだってばよ……」
 今日も今日とて雑用風味なDランクの任務を終えて帰宅したナルトは、盛大なため息をついた。
 ここのところ、大好きな恋人に全然逢っていない。
 正確には「逢えていない」。
 アカデミー時代は森の奥でいつも一緒に過ごしていた、寡黙な恋人に。
 自分のいる7班と、寡黙な恋人のいる8班は、嫌味なくらいに休みが合わないのだ。
 担当上忍のカカシに訴えてみても「何かあった時にすぐ任務に就けるように、休みが重ならないようにしてあるんだよ」と言われるばかりで。
 それがどうしていつも7班と8班なんだよ、と疑問に思わずにいられない。
 休みが合わなくとも任務が早く済めば逢う事もできるのだが、カカシの遅刻のせいで7班の任務は他の班と比べて終わるのが遅い。
 もしかしたらカカシの遅刻も、わざとなんじゃないかと思うようになった。
 カカシが自分と恋人―シノの関係を快く思っていないようだと気付いたのはつい最近の事。
 何故快く思っていないのか、ナルトにはその理由まではわからないのだが。
「俺達を引き裂くつもりだってばよ……」
「誰が、俺達を引き裂くんだ?」
 ため息と共にベッドに倒れ込んだ途端、部屋の入り口から声がした。
 顔をあげなくてもわかる。
 ナルトはがばっと飛び起きると、それこそ飛ぶような速さでそこに立つ人物の胸に飛び込んだ。
「シノっ」
 体当たりのような勢いで抱きついて。
 丁度いい位置にある胸に顔を埋めると。
 シノは優しく抱き返してくれて、頭をぽふぽふと撫でてくれた。
「ため息なんかついて、どうした」
「ヨッキュウフマンで死にそうだったってばよ」
「欲求不満?」
 かみそうな発音で紡がれた言葉に、シノは首を傾げる。
「最近ちっともシノに会えなくて、シノが足りなくてさ」
 ナルトはシノに抱きついたまま離れようとしない。
「俺も、ナルトに会えなくて寂しかった」
 シノはそう言うと、ナルトをぎゅっと抱き締めた。
 金色のふわふわの髪の毛がシノの頬をくすぐる。
「ぜ〜んぶカカシ先生のせいだってばよ!」
 がばっと顔をあげて、ナルトは悔しそうに叫んだ。
「……何が?」
 シノは面食らってサングラスの奥の目をぱちくりさせる。
「7班と8班の休みが合わないのって、きっとカカシ先生の仕組んだ事なんだってばよ」
 ナルトはそう言って再びシノの胸に顔を擦り付けた。
「カカシ上忍が……」
「俺とシノが付き合ってるのが気に入らないみたいでさ。だからきっと7班と8班の休みが重ならないように仕組んでるんだってばよ!そりゃあ、俺もシノも男だし、周りから見れば男同士で付き合うなんて不自然かも知んないけどさ」
「……」
 ナルトの言葉に、シノは目を鋭く細める。
 カカシが気に入らないのは、男同士で付き合っている事ではないだろう。
 目に入れても痛くないほど可愛がっているナルトが、他の男に取られた事が気に入らないのだ。
 カカシ以外にも、ナルトの隣りを狙う者は意外に多い。
 始めのうちはナルトをただの落ちこぼれとしか思っていなかった連中も、ナルトを知っていく度に惹かれていくのだ。
 全ての者を惹き付けて止まないその存在は、いずれ自身の語る夢の通り、里中に己の存在を認めさせるだろう。
 金色の太陽の引力は計り知れない。
 そしてナルトはその事に気付いていない。
 自分に向けられる負の感情には恐ろしく敏感な反面、好意にはとことん鈍いナルト。
 もしナルトがカカシの真意を知ったらどうするだろう。
 自分を捨てて、カカシを選ぶだろうか。
 例え相手がカカシであろうとも、その他の誰であろうとも、ナルトを譲る気はないのだが。
 心を満たしてくれる、小さくて大きな存在。
 想像もつかない闇を背負いながらも、輝きを失わない存在。
 かけがえのない、大切な存在。
 里中を敵に回したってかまわないと思わせるほどの愛しい存在。
 自分だって、足りない。
 多分ナルトが自分を思う以上に、自分はナルトを欲している。
 シノは、まだぶつくさと文句を言うナルトの頬に手を添えた。
 ナルトが首を傾げて見上げてくる。
 コートの襟を引き下げると、その小さな唇にそっと自分の唇を合わせた。
 一瞬だけ蒼い瞳が驚きに見開かれるが、すぐに嬉しそうに細められ。
 やがて閉じられた。
 小さな体をそっと抱き締めると、背中に手が回されるのがわかった。
 誰よりも強い意志を秘めた輝きを持っている瞳は、時としてそれが信じられないくらいに儚い光を湛える事がある。
 強くなる事に貪欲で、未来を真っ直ぐ見据える強い瞳。
 自分が誰かに好かれる事などあり得ないと、諦めてしまっている空虚な瞳。
 そのどちらもナルト。
 シノは、ナルトの瞳に浮かぶ両極端な光に惹かれた。
 周囲を惹きつけてやまない強い意志を持った瞳と、全てを受け入れ、諦めているガラス玉のような瞳。
 しかし、一番惹かれるのは、自分だけを映して潤んだ瞳だ。
 今は閉じられている、その瞳がシノを惹き付ける。
 できる事なら自分以外の人間を映さないでほしいと思うが、それは無理な話で。
「ん……」
 ゆっくりと唇を離すと、名残惜しげにナルトの口から吐息が漏れた。
 それに情欲を煽られながらも、ナルトにその事を悟られるような気配は微塵も見せないまま。
 シノは再びナルトを優しく抱き締めた。
「補給、できたか?」
 自分の胸に顔を埋めたナルトの耳元に囁くと。
 その耳があっという間に真っ赤に染まった。
 そして。
「まだ、足りない……ってばよ」
 ナルトは真っ赤になった顔を上げて、シノを見つめる。
 シノは小さく息を飲んだ。
 潤んだ蒼い瞳が、濡れた赤い唇が、上気した頬が欲望を煽る。
 ナルトはいつだって無意識に、その存在全てでシノを煽るのだ。
 内心の動揺を悟られないようにしながら、微かに笑みを浮かべる。
「俺も、だ」
 そう言って、もう一度軽く口付けた。
 キスなんてもう数え切れないくらい交わしているのに、何度交わしても足りない。
 飽きる事無く何度でも求めてしまう。
 溺れてもいいと思ってしまう。
 実際、自分はナルトに溺れているのだろう。
 どうしようもない程、愛しい存在となってしまった子供に。
「えっと……晩飯まだだよな?」
 まだ頬を赤く染めたナルトが、照れ隠しに訊いてくる。
 黙ってこくりとうなずくと、ナルトはにぱっと微笑んだ。
「今作るから、一緒に食お!」
 そしてそう言って台所へ向かう。
 シノもそれに続いた。
 居間のテーブルに着いて、ナルトが夕食の用意をするのを待つ。
「シノって、嫌いなモノなかったよな?」
 台所から声がする。
「ああ。大抵の物は食べる」
「今日はチャーハンだってばよ」
 ナルトはそう言って、チャーハンの乗った盆を抱えて居間に来た。
 シノを待たせては悪いと、手早く作られるメニューにしたようだ。
 チャーハンの他には、スープ代わりのミニサイズのカップラーメン。
 ナルトはそれらをテーブルに並べると、シノの向かいに座った。
「それじゃ、いっただきまーす」
 行儀良く両手を合わせて頭をさげる。
 シノも軽く両手を合わせると、スプーンを手に取った。
 見た感じでは美味しそうなチャーハンをスプーンですくって口に運ぶ。
 ナルトはその様子をじっと見ていた。
「食べないのか?」
 それに気付いたシノが首を傾げると。
「食べるけど。どお?美味しい?」
 ナルトは心配そうな顔でそう訊いてきた。
「美味いな」
「良かった〜。シノの口に合わなかったらどうしようって、心配してたってばよ」
 シノの返事にほっとした笑みを浮かべたナルトは、ようやく自分も食べ始めた。
 それを見てシノはサングラスの奥の目を細め、微かに笑みを浮かべる。
「どうした?」
「いや……」
 ナルトに見つめられ、シノは口ごもった。
 一見、能天気で単純馬鹿なナルトだが、他人の感情の機微には鋭い。
 表情なんてほとんど変わらないシノのわずかな変化にも敏感だ。
 そして、誰も気付いてくれない自分の表情の変化に、ナルトだけが気付いてくれるのがかなり嬉しかったりする。
「シノ、変」
「変、か」
「変だってばよ」
「新婚夫婦みたいだな、と思っただけなんだが」
「へ?」
 シノの言葉に、ナルトはきょとんとした顔で目を丸くした。
 そしてすぐに真っ赤な顔になる。
「ナルト?」
 今度はシノがナルトを見つめた。
「俺ってば、シノのお嫁さん?」
「立場的には、そうなるな」
「うわ〜、なんだか恥ずかしいってばよ」
「恥ずかしいか」
「うん。嬉しいけどさ、やっぱ照れるってばよ」
 ナルトは嬉しそうに笑みを浮かべる。
 小さな事にいちいち嬉しげに照れるナルトを見て、こちらまで嬉しくなる。
 そしてそんな時、いつもひとつの欲求が湧くのだ。
 ナルトが、欲しい。
 どんなに傍にいようとも、際限なく沸き起こる欲求。
 足りない訳ではない筈なのに、やはり足りない。
 ただ傍にいるだけでは足りない。
 言葉だけでは足りない。
 本当なら四六時中、傍に居たい。居て欲しい。
 自分以外の誰とも触れ合わないで欲しい。
 ナルトを求める人間は確かに多い。
 しかし、ナルトが求めているのは自分だけだと思うと自然と笑みが浮かぶ。
 父親か兄のように慕われる事が嬉しい反面複雑な元担任よりも、飄々として本心を見せないが実はナルト一筋な上忍よりも、ドベだウスラトンカチだと馬鹿にしながらもナルトの事が気になって仕方ないクールな少年よりも、頭脳明晰で面倒臭がりなくせにナルトの事になるとやる気を出す少年よりも、その他ナルトに惹かれているどの忍よりも、ナルトは自分を求めてくれているのだ。
 この立場は誰にも譲れない。譲らない。
 何があっても譲らない。
 優越感には浸る事ができるけれど、やはりそれだけでは足りない。
 満たされても満たされても、すぐに足りなくなってしまう。
「ごちそうさま」
 考え事に耽りながら食べ終えた。
 ナルトも食べ終えたようで、今度は2人で片付けをする。
 台所の流し台は、ナルトサイズでシノには少々低い。
 この部屋自体がナルトサイズになっている。
 ナルトのためだけに建てられたアパート、と言えば聞こえがいいが。
 三代目火影が、里人からナルトを守るために与えた建物。
 どうやら、ナルトに危害を加える人間は近付く事ができないような術も施されているらしい。
 シノは普通に出入りできる事から、ナルト自身の警戒心と連動している術なのかも知れない。
 以前に比べれば随分と受け入れられて来てはいるものの、里の人間の中にはまだナルトに危害を加えようとする人間は多いのだ。
 ナルトの家に術が施されているのは当然と言える処置だ。
 そうしなければならないような状況を作り出している里が憎いと思う事がある。
 憎いと思う反面、それでもいいと思う自分がいる。
 里の人間に、ナルトの魅力を理解してもらう必要なんてない。
 そんな価値もない。
 ナルトの傍には自分だけが居ればそれでいいと思った。
 それでも、ただ傍にいるだけでは足りない。
「やはり、足りないな」
「どうかしたか?」
「まだナルトが足りない」
 素直に口にすると。
 ナルトは湯気が昇る勢いで顔を赤くした。
「え、えっと……」
 顔を真っ赤にしてうつむきながらも、上目遣いでシノを伺う。
 ナルトの担当上忍が見たら鼻血を噴いて倒れそうな顔だ。
 しかしそんな顔を見る事ができるのは自分だけ。
 それでも。
「傍にいるだけでは足りない。言葉だけでも足りない。満たされるまで、ナルトが欲しい」
 本心を言葉にして告げると。
「シ、シノ……あの、俺も、欲しいってばよ」
 恥ずかしがりながらも、しっかりと自分の想いを口にするナルト。
 これを愛しいと思わない人間などいないだろう。
「シノ、先に風呂入る?」
 そう訊いてくる顔がトマトのように赤い。
 これからする事をわかってはいるのだろう。
 初めてではないし、シノが夜訪れた時は大抵している事だから。
「いや、ナルトが先に」
「ん。それじゃ先に入って来る」
 シノが答えると、ナルトはうなずいて風呂へ向かった。
 それを見送ってシノは椅子に腰掛ける。
 そしてくすりと笑った。
 風呂の方からは何やら賑やかな音が響いていた。

 翌日。
 お互いにしっかりと“補給”した2人は、仲良く一緒に任務に向かった。
 途中の道で別れるまで、しっかりと手を繋いで。
 今日もそれぞれ任務に向かう。
 そして再び、お互いが足りなくなると求め合う日々が続くのだ。
 例え担当上忍に休みが合わないように仕組まれようとも。
 黒髪のライバルの“愛情の裏返し”に気付かず喧嘩しようとも。
 頭脳明晰の10班の下忍に狙われようとも。
 お互いにお互いが足りない限り。
 満たしてくれる相手がお互いである限り。
 シノのナルトへの想いは変わらないし、ナルトのシノへの想いも変わらない。

 終。



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