「秘密」


 あの子が心の底から笑って過ごせる環境を作る為なら。
 あの子の、笑顔を守る為なら。
 そりゃあもう何だってしますよ。
 何だって、ね。
 そう言って彼は、いつもの人の好い笑みを浮かべた。
 まあ、彼の性格からしてそれは本心だろう。
 だけど、彼が何を考え、どういう行動を取っているのか。
 それはあの子に知られる訳にはいかないんじゃないかと思った。
 あの子――九尾の妖狐の器となる事を余儀なくされた、金色の子。
 うずまきナルトは、アカデミー時代の担任である彼を今でも慕っている。
 初めて自分を、九尾の器ではなくうずまきナルト個人として認めてくれた人だから。
 その信頼は、見ているこっちが嫉妬してしまうほど。
 そんな子だから。
 自分の為に、自分のせいで、誰かが傷つき汚れる事を何よりも嫌う子だから。
 もしあの子が、彼の本心とその行動を知ったら、心を痛めるに違いない。
 それだけの事を、元担任の彼――イルカは、おそらくしているに違いないから。
 可愛い教え子の笑顔を守る為なら、どんなに自分が汚れても構わない。
 言外にそう言った彼の笑顔は正真正銘、本物で。
 だからこれは、あの子にだけは知られてはいけない秘密でもあるんです、と。
 あの子の笑顔を守る為に、秘密を共有してくださいませんか。
 そう言われて。
 一も二もなく同意してしまった自分は、おそらく彼と同罪。
 あの子の為なら、いくら汚れても構わない。
 そのくらい、あの笑顔に暖かな気持ちをもらっているから。
 だから何だってできる。
 あの子の笑顔を、その存在を守る為なら、どんな秘密でも抱える事ができる。

 誰からともなく聞いた話。
 あの子に暴行を加えた大人たちが、数日後何者かに襲われて大怪我をした、とか。
 あの子の首をへし折ろうとした中忍が、闇討ちに遭って首を骨折して忍者生命を絶たれた、とか。
 あの子の買い物した荷物をばらまいて踏み潰した大人が町の中を歩いていると、屋根の上から何故か漬物石が落ちてきて足の骨が砕けた、とか。
 彼らは犯人が誰なのか知らない。
 火影に訴えてみても、犯人を捜すのは至難の業だと言われ。
 誰の仕業なのかもわからぬまま大怪我を負い、忍者生命を絶たれ、足の骨を砕かれて。
 いつまで経っても犯人はわからず、結局は泣き寝入り。
 それがあの子に手を出したせいだと。
 何となく勘付いた彼らは、二度とあの子に関わるまいと決心したとかしないとか。
 おそらく全て、彼の仕業なのだろう。
 万年中忍などと言われて周囲の者にからかわれてはいても、Aランク任務を幾度となくこなしているような実力者だ。
 彼らを殺さなかったのは、その方が痛みと苦しみを与えられるから。
 ある種の拷問。
 しかもそれは、かなり実力がないとできない事。
 上に上がれないから万年中忍なのではなくて、上忍並みの実力を持ちながら、彼はあえて中忍の立場にいるのだ。
 おそらくは、あの子の笑顔を守る為。
 中忍で教師をしていれば、他の中忍のような任務はほとんど回ってこない。
 子供好きというのもあるかも知れないが、理由の大半は金色のあの子。
 もしもあの子にそれを知られたら、おそらく笑顔なんて見せてくれなくなる事も知っている筈。
 それでも。
 これはおそらく単なるエゴ、なんだろうけど。
 それでも。
 あの子の笑顔を守る為なら、何だってするだろう。
 そして自分も例外ではなく。

 同僚の、10班担当の髭男に話すと。
 くだらないとでも言われるかと思っていたのに、思いの外真面目な顔で。
 自分もそうだと。
 そう思っていると。
 言ってのけた。
 意外な事に、その後顔を出した8班担当の美人くノ一も。
 髭男と全く同じ事を言った。
 そしてそれだけでなく。
 自分の部下たちも、あの子の笑顔を守る為ならおそらく何でもするだろうと。
 綺麗で鋭い笑顔を見せて言った。
 それなら自分の部下だってそうだと、対抗するかのように髭男が言う。
 みんなあの笑顔に癒されているんだと。
 何事にも屈しない、純粋で真っ直ぐな心のまま生きる姿に、心を救われているんだと。
 髭男と美人くノ一の話を聞いて、実感した。
 本命はサスケだと言いながらあの子の事もしっかり気になっているらしい花屋の娘。
 いつも面倒臭がっている頭脳明晰な少年は、あの子の事になると別人のようにやる気を出すとか。
 ぽっちゃり系の食欲魔人な少年は、いつも食べているお菓子をあの子にだけはおすそ分けするとか。
 写輪眼をもつエリート下忍の少年は、素直じゃない性格が災いしているけど実はあの子の笑顔をいつだって見ていたいと思っているようだし。
 花屋の娘と同じく本命はサスケではあるけど、あの子の事も可愛いと思っている、桜色の髪の少女。
 ワイルドな少年があの子といていつも騒がしいのは、そうする事であの子の意識を自分に向けさせたいだけだったり。
 内気であの子の前に出るとろくに口もきけない少女は、だけどあの子の事に関しては物凄い実力を発揮してみせたり。
 サングラスの寡黙な少年が表情を緩ませるのは、あの子の笑顔を見た時だったり。
 こんなにも色んな人間を惹き付ける。
 それがどんなに凄い事なのか。
 あの子はきっとこれっぽっちもわかってはいないだろうけど。
 あの子の笑顔を守りたいと願う者はこんなにも多い。
 探せばもっと増えるだろう。
 だから、あの子の笑顔を守る為に彼がしている事も。
 あの子の笑顔を守る為にしたい事も。
 きっと間違いじゃない。
 正しい事とは言えないけど。
 でも、間違っているとは思わないから。
 そして、そう思っている連中もこんなにいるから。
 赤信号もみんなで渡れば、という感じ。
 それはつまり、あの子の為ならどんな事でもできるって事。
 この手がどんなに汚れても構わない。
 そしてその事を隠し通す事ができる。
 だって。
 心の傷を隠すための笑顔を見たい訳ではないから。
 涙を隠すための笑顔を見たい訳ではないから。
 本心を隠すための笑顔を見たい訳ではないから。
 そんな偽りの笑顔なんて、絶対に見たくないから。
 信頼できる仲間たちに囲まれて、幸せな笑顔のあの子を見たいから。
 だから、この事はあの子には秘密。
 笑顔を守る為の絶対条件。
 あの子には決して知られてはいけない秘密。
 もしもこの事をあの子が知ったなら。
 おそらく泣くだろう。
 泣きながら、そんなの間違ってる、と言うに違いない。
 だから、絶対に秘密。
 あの子を泣かせたくはないから。

 彼の秘密に同意して集まった面々の中には。
 いつも咳をしていたり、顔の左側に傷跡があったり、優等生で内弁慶だったり、いつも長楊枝をくわえている特別上忍の連中や。
 短気だったり、鼻炎だったり、潔癖症の中忍連中。
 あの子が激眉と呼ぶ上忍の班の、白眼の少年もいて。
 もっと意外な事に。
 頭脳明晰な少年の父親や、サングラスの寡黙な少年の父親までいて。
 あの子の笑顔を守る為にしたい事。
 おおよそ共通点のなさそうな者同士なのに、和気藹々。
 大人数で延々と語り合ったりして。
 あの子はいないのに、あの子の事を話すだけでもこんなに暖かな気持ちになれる。
 可愛いよなあ、としみじみ言ったのは、額当てを後ろ向きに巻いている、長楊枝くわえた特別上忍。
 私もそう思うんですね、と。
 あの笑顔には癒される、と。
 確かに、こちらも釣られて笑顔になる、と。
 間髪入れず同意したのは。
 目の下に隈のある、咳をする特別上忍と。
 顔の左側に傷跡のある特別上忍と。
 優等生で内弁慶の特別上忍で。
 その他一同も、それに続いてうんうんとうなずいた。
 彼も、いつもの人の好い笑みを浮かべてうなずいている。
 あいつが可愛い事くらい、ずっと前から知ってましたよなんて。
 一番最初にあの子を認めてやったのは自分だと言う、余裕の笑みにも見えて。
 他のメンバーは、むっとしながらも言い返したりはせず。
 その後はお互いが対抗するかのように、あの子とどうやって知り合って、どうやって親しくなったのかを語りまくって。
 で、アイツは誰が好きなんだろうな?
 ふとそんな事を言ってその場を静かにさせたのは、いつも鼻をずるずる言わせてる鼻炎の中忍。
 いつも一緒に任務してる俺に決まってる、とエリート下忍の少年が言えば。
 あの子は私に惚れてるじゃないの、と桜色の髪の少女。
 ボクがお菓子あげると凄く喜んでくれるよ、とぽっちゃり系少年も。
 アイツは俺と一緒に雲を見てると落ち着くんだってよ、と面倒臭がりの少年が言えば。
 俺といると癒されると言っていた、とサングラスの少年。
 俺と遊んでる時が一番楽しそうだぜ、とワイルドな少年も言う。
 私とガーデニングの話してる時が一番穏やかな笑顔してるわよ、と花屋の娘。
 アイツは俺を天才だと言ってくれたぞ、と白眼の少年。
 そして彼は、アイツに一楽のラーメンを奢ってやると本当に幸せそうに笑うんですよ、と言う。
 それを聞いた他の面々も黙ってはいなくて。
 自分といる時のあの子はああだこうだと。
 再びみんなで語り合って。
 自分は短気だけど、アイツには何言われても腹立たない、とか。
 自分は潔癖症だけど、アイツになら触るのも触られるのも全然平気、とか。
 自分は鼻炎だけど、アイツといる時は症状が落ち着く気がする、とか。
 中忍3人がそれぞれに言えば。
 俺はめんどくせー事は嫌いだけど、アイツに関してはどんな事でもめんどくせーとは思わねー、とか。
 ボク、人にお菓子あげるの嫌だけど、アイツにはあげたくなるんだ、とか。
 いつも無口だと言われるが、アイツといると何故か色々と話したくなる、とか。
 下忍たちも負けじと語る。
 それを聞いた他の者たちも黙ってはおらず。
 いつの間にかあの子への想いの吐露大会。
 呆れた眼差しを向けるのは面倒臭がりな少年の父親と、サングラスの少年の父親。
 それでも父親は自分の息子を暖かな眼差しで見つめ。
 自分もあと20歳若ければ、なんて思ってるのかどうか。
 それはともかくとして。
 この場にいる全員に共通しているのはあの子の存在、あの子の笑顔。
 それが一番大事だという事。
 みんなにとって、あの子の笑顔、あの子の存在はナンバーワンでオンリーワン。
 けれど、あの子にとってのナンバーワンは誰だろう。オンリーワンは誰だろう。
 それはわからない。
 わからないけど。
 ここにいる殆どが、自分でありたいと願っているに違いない。
 だけど、それもあの子には秘密。
 知られたら、あの子は、誰も選ばない。選べない。
 自分なんかが誰かを好きになってはいけない、愛されてはいけないだなんて思っているから。
 みんなの想いがあの子を苦しめてしまうだろう。
 だから秘密。
 この想いも秘密。
 今のところ、ではあるけど。
 誰もが、自分を選んでくれると信じつつ。
 やっぱり、今はまだ秘密。
 あの子の心を射止める為ならば、何だってするって事も。
 もちろん秘密。

 終。



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